四国霊場86番札所 志度寺 観光ガイド

86番札所 志度寺

牟礼町の八栗寺が85番札所で86番目がココ四国霊場第86番札所 志度寺になります。

志度寺境内

境内はジャングルのような感じです。昭和のころはこんなに木々が生い茂っていなくて、運動場や広場のような感じだったようです。お祭りや市になると多くの露店が並んだり、おみこしなどもここに集結していたそうです。

中央には池があったようです。その名残は今もあり、橋などが残っています。

志度寺の見どころポイント

境内には、殉愛海女の墓、曲水式庭園と無染庭、田宮坊太郎ゆかりお辻の井戸、三尊仏、芳室文塚と松風塚、日本で十八番目に建立せられた、五層総ひのき造りの5重の塔などがあります。重要文化財に指定されているものも多いので、見逃し防止のために予習をしっかりしてから訪問した方がよさそうです。

仁王門(重要文化財)

仁王様より大きな”わらじ”が目立つ山門になっています。

本堂(重要文化財)

86番札所 志度寺

閻魔堂(県文化財)

奪衣婆堂(県文化財)

奪衣婆(だつえば)が拝観できる。脇侍は地蔵菩薩・太山府君

大師堂

真言宗の開祖・空海(弘法大師)を祀る堂。お遍路さんは本堂とともにこちらにも参拝します。

五重塔

日本で十八番目に建立せられた、五層総ひのき造りの5重の塔です。

海女の墓

竜神から宝珠を取り返す「海女の玉取り伝説」。伝説の内容は、藤原不比等は唐より授かった「面向不背の珠」という宝珠を沖で龍神に奪われた。これを取り戻すためこの地の海女に後に藤原房前となる子を産ませる。その海女は龍神の棲む龍宮へ向かい我が子と引き換えに宝珠を取り戻して亡くなる。不比等は薗子尼が建てた堂の傍らに海女の墓を造り弔った。その後、大人になった藤原房前は当地に訪れ母の供養のために千基の石塔を建立したと伝えられる。その残った一部の20基余が海女の墓といわれてる。

生駒親正の墓所

生駒親正は戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将、大名。三中老の一人です。お墓は海女の墓を囲む柵の右側に沿って奥にあります。

無染庭

石と白砂の美しい枯山水庭園「無染庭(むぜんてい)」。作庭家の重森三玲(みれい)(1896~1975年)が手掛けた枯山水の庭。海女の玉取り伝説の情景を七個の石と苔むした岩、そして庭一面に敷き詰めた白砂で表現している。

曲水式庭園

室町時代に讃岐の守護であった細川氏の寄進による美しい庭で、滋賀の秀隣寺、三重の北畠神社と並んで、わが国には三つしかない珍しい庭園とされています。

お辻の井戸

歌舞伎”花上野誉石碑”に出てくるお辻が水垢離した井戸として知られ、無染庭の南側にあります。

志度寺 住所

〒769-2101 香川県さぬき市志度1102

JR志度駅より徒歩10分、琴電志度駅より徒歩8分、志度ICより車で7分

志度寺周辺の史跡等

志度寺周辺には意外な人物とゆかりが深いのです。それが日本のエジソンといわれた平賀源内です。讃岐の人の多くは知っていますが全国では志度と平賀源内との関係を知っている人は少ないと思います。

平賀源内の墓

自性院(じしょういん)内に平賀源内のお墓があります。自性院は志度寺に隣接していて広義では志度寺としてとらえられることがある。

平賀源内記念館

平賀源内記念館は香川県さぬき市出身で江戸時代に博物学者、エンジニア、アーティスト、文士として多方面に活躍した平賀源内の残した業績、ゆかりの品々を展示する記念館です。

所在地: 〒769-2101 香川県さぬき市志度587−1

次の札所は長尾寺です!

志度寺の次は長尾寺です

志度寺の次の札所は87番札所 長尾寺です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です