長刀泉(なぎなたいずみ)・弁慶の投げ石【源平合戦古戦場】に行ってみよう

長刀泉(なぎなたいずみ)

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さぬきじん

今回は源平合戦で義経と並んで有名な武蔵坊弁慶の豪快さを物語る牟礼町の史跡「長刀泉」「弁慶の投げ石」を紹介します!弁慶の豪快さと裏腹に、どちらも控えめな史跡となっているので見逃し注意です。

長刀泉(なぎなたいずみ)とは

長刀泉(なぎなたいずみ)

長刀泉とは、源平合戦のとき、この付近は海が近かったため、水利が悪く、源氏の兵たちは炊事をするのにも一苦労でした。そこへ弁慶がやってきて自慢の長刀でこの地を掘ってみたところ、キレイな水が湧き出し井戸が出来たと言われています。

現在この地は、海から遠く離れています。3.5㎞ほどあります。相引川(汽水域)までは700mくらいの位置です。

「三代物語」に「武蔵坊弁慶屓尖刀鐓(なぎなたのいしづき)を以って、井を穿つ、しばらくして清水湧く。云々」とあり、弁慶の武勇とともに、海辺の陣にあって炊事用水に苦慮した様子を伝えている。

長刀泉の井戸の部分

長刀泉の井戸の部分

長刀泉(2020年2月撮影)

▲石碑があり、文字が彫ってあるのですが解読不能でした。。。

看板の向こうに石垣で囲まれ一畳ほどの面積で井戸があります。ここには水が溜まっているときもあれば、枯れているときもあります。この写真を撮った時は、枯れていました。水があったとしても濁っています。

水が見える時も雨の後の水たまり程度です。道路わきの少しくぼんだ所にあり、車で通っていたら多分気づかずに通り過ぎると思うので気を付けてくださいね。

北(鎌長製衡株式会社 正門)から南に向かって移動すると左手側にありますので注意しながら進んでください。大きな目印としては右手側に大きな鉄塔(変電所)があります。

アクセス交通

住所:〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼2293ー2

 

最寄り駅・・・JR 古高松南駅が一番近くて便利です。琴電路線であれば、琴電 八栗駅になります。

・・・国道11号線からちょっと入る。駐車場はないが人通りも少ない。

自転車・徒歩・・・JR古高松南駅から徒歩5分くらい、琴電八栗駅から徒歩12分くらい。

タクシー・・・八栗タクシー(琴電八栗駅の隣にある)

長刀の泉周辺の史跡・観光

徒歩・自転車であれば以下の史跡が近くにあります。「長刀の泉」「菜切り地蔵」「瓜生が丘」の3つはセットで訪れることをおすすめします!

菜切り地蔵(弁慶が地蔵の背中をまな板がわりにして大長刀で菜を切ったと伝えている。)

瓜生が丘(屋島の平氏を攻めるため、源氏が陣を敷いた場所)

※少し離れたところに「弁慶の投げ石」というのがありますが、少し遠い。この投げ石は、長刀の泉を弁慶が掘った時に出てきた1メートルくらいの石を放り投げ出したモノとされています。(田畑の中にあります)

弁慶の投げ石

弁慶の投げ石

田畑の真ん中にポツンとあります。とても違和感のある不思議な風景です。

写真を撮ったのは3月だったのですが、ここに植えるモノの収穫期には葉物に埋もれているような気がします。

弁慶の投げ石は高さ約1メートル、縦横ともに約0.5メートルの花崗岩です。

弁慶の投げ石の説明看板

引きで撮ってみると、こんな感じです。説明看板と源平合戦古戦場の道標と弁慶の投げ石の距離感が分かると思います。

ちなみにこの道は、あぜ道の様な雰囲気のある両側が田畑になっている細い道です。一応、舗装道路です。

弁慶の投げ石の説明看板

弁慶の投げ石について

源平合戦で弁慶が長刀の石突で井戸を掘っていた時、土中から出てきた巨石を、怪力で一気に跳ね上げたところ、天高く飛び2キロ先の東方の地に落ちたという伝説があり。

里人はこれを弁慶の投げ石と呼んでいる。地主は、正月には、しめ縄を飾りお供えをしてこの石を大切に守っている。

弁慶の投げ石へのアクセス

〒761-0123 香川県高松市牟礼町原569

国道11号を志度方面に走り、道の駅「源平の里むれ」を超えて最初の信号機付きの交差点を右折南に入ります。「はらこども園」を左折して進むと弁慶の投げ石に着きます。

先ほどの信号機を行き過ぎた場合は、大谷製麺所という、うどん店が、左側に見えるようになります。

大谷製麺所

ここを超えて最初の信号機を右折します。右折時にJRの踏切も超えます。真っ直ぐ進むと「鶴商卸センター」が見えます。ここの手前の道を右折すると弁慶の投げ石の史跡に辿り着きます。

 

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