こんにちは。今回は源平合戦古戦場の史跡・名所を見渡せる屋島山上を紹介します!
もちろん屋島山上にも「血の池」などの源平合戦の史跡があります。山上をくまなく観光できるように観光マップもいくつか用意しましたので自分に見やすいマップを選んで活用ください。
このページの内容です!
屋島山上観光マップ
山上 史跡・名所 詳細地図
屋島山上に到着!駐車料金は?
簡単明瞭 駐車料金一覧表です!
<営業時間 6:30~22:00>
駐車料金表 | |
普通自動車 | 300円 |
大型自動車 | 1200円 |
二輪車・原付 | 200円 |
※駐車場を利用しない素通りの送迎車両は無料です。
※回数券などのお得な購入券もあります。
詳しくは観光協会のHPで確認してください。
▲「ことちゃんYASHIMA号」(2017年7月 生まれ)
シャトルバスは琴電屋島駅・JR屋島駅・四国村から片道100円。
最新の料金と時刻表はコチラで確認ください。
屋島山上へは屋島スカイウェイ(車・バイク・自転車・徒歩OK!無料!)を使って行く!
屋島スカイウェイ(源平古戦場が一望)
屋島スカイウェイは、高松の東にある屋島の南麓から東側を通り南嶺(なんれい)山上に着く無料の観光道路です。人から車まで一般道と同じように通れます。
昔は民営化された有料道路でしたが、割高感がありリピーター数が伸びず、高松市が無料化に踏み切りました!
2018年5月に高松市道の「屋島スカイウェイ」(名称は公募で決定)として開通しました。
屋島山上を駐車場から歩く
駐車場入り口から血の行けまでは200m。屋島寺までは250m。
奥に見えるのが駐車場です。そして公衆トイレが見えると思います。
右側に少し見える池が「血の池」です。
とても長い合戦絵巻と説明が壁にあります
そして駐車場から出て屋島寺に向かう道にはいるとすぐ左手側に長い壁画?壁一面に写真や説明が記されています。。。
源平合戦絵巻(主な登場人物一覧)
源頼朝
平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家。鎌倉幕府の初代征夷大将軍。絵巻には馬に乗って駆ける姿が描かれています。
那須与一
『平家物語』の名場面、「扇の的」の主人公です。壁の絵巻には与一が矢を射る瞬間を絵にしています。
佐藤継信
屋島の戦いにおいて、平教経が義経を一矢で射落とそうとねらったが、源氏方も一騎当千の兵たちがそれを防ごうと矢面に馳せ、そのとき真っ先に矢面に進んだのが佐藤継信です。継信は弓手の肩から馬手の脇へと射抜かれて落馬しました。絵巻はその瞬間を描いています。
これにより義経の命を継信は救うことが出来ました。
景清と十郎
景清と十郎が戦っているところが描かれています。「錣引き伝説」の一幕です。
太夫黒
太夫黒(たゆうぐろ)。これは人ではなく馬の名前です。源義経の愛馬で名馬と称された漆黒の馬です。源義経と太夫黒が描かれています。
血の池(瑠璃宝の池)【屋島山上源平合戦古戦場】
絵巻がある壁の建物のちょうど裏側に血の池があります。
「血の池」は別名を「瑠璃宝の池(るりほうのいけ) 」といいます。見て、どうのこうのという池ではなく、どこにでもある、キレイでもない小さな野池です。説明板があるのでもう少し近づいてみます。
説明文にはこう書かれています。
瑠璃法の池(血の池)について
屋島寺伽藍草創(がらんそうそう)のおり、弘法大師が「遍照金剛、三密行所、当都率天、内院管門」と書き、宝珠とともにおさめ周囲を池としました。
ところが、竜神が宝珠を奪いに来ると伝えられ瑠璃宝の池の名があります。
また、源平合戦のとき壇の浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため、池の水が赤くなり血の池と呼ばれるようにもなりました。
前半部分の「瑠璃宝の池」の由来はよく分かりませんが、自分なりに解釈してみると、大事な経文と宝珠が収められた場所のまわりに水を流し池にしたということですね。今でも池の中央部には小島があります。多分そこに大事なものが眠っているのかも!今は無いのかも!?
後半の「血の池」の部分はよく分かりました。源平合戦で戦って血が付いた刀をみんなが洗ったら血の色になったので「血の池」ということですね。
屋島寺 四国霊場第84番札所
東大門
朱色が鮮やかな屋島寺の東大門。駐車場から屋島寺を目指すとココを通ると思います。
先ほどの壁の絵巻を歩いてすぐ(突き当り右)のところです。
仁王様が両側に立つ山門は、登山道を登りきったところにあり、本堂の南側にあたります。山門は後で説明します。
屋島寺の説明文あり
立て札を読んでみるとこのように書かれています。
屋島寺は唐僧鑑真(がんじん)和上過海大師が開創の基を開きその弟子恵雲律師空鉢(くうはつ)と号した人が初代の住職になったと伝えられ、初めは律宗であったが弘法大師が真言宗に改めた寺で四国八十八カ所の八十四番の札所です。
本尊千手観音は平安時代前期の作であり、本堂は鎌倉時代の末ごろの建築でともに重要文化財に指定されています。
書院裏には名園雪の庭園があります。鐘楼の釣り鐘は鎌倉時代の初め貞応(じょうおう)二年に鋳(い)たものです。
なお、源平合戦の遺物など陳列した宝物館があり、狸(たぬき)で有名な蓑山(みのやま)大明神の社もあります。
七福神が並ぶところがある
山門をくぐって本堂のほうに歩いていると七福神の並びに出会うことが出来ます!
その手前には大師堂があります。写真が消えてなくなってしまってお見せできないのが残念です。すみません。。。
屋島寺 本堂
合掌
御守りや御札を扱っている札所は本堂を正面に見て背中側にあります
御守り、お札の授与、御朱印帳はコチラの札所で!
蓑山大明神(太三郎狸)は本堂右側です
大きい狸の親子の石像が立っています。蓑山大明神には“日本三大狸”といわれる屋島太三郎狸が祀られています。
ジブリファンだとご存知の方がいると思いますが、ジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」に出てくる「太三郎(たさぶろう)狸」がここの狸様です。
朱色の鳥居がズラリと並んでいます。左側に本堂の説明文が見えると思います。この説明文の看板のさらに左側が本堂です。
真正面から蓑山大明神
正面奥に見えるのが蓑山大明神の社です。左下に狸の置物が見えています。
さらに奥に進んでみます!
蓑山大明神の社です。合掌
さらに左奥に進みます!
蓑山塚というのがありました。狸さんの置物がたくさん置いてありました。
讃岐稲荷
さらに奥に進むと今度はお稲荷さんが!
▲屋島稲荷とかかれています。
山門(仁王門)
写真が消えてなくなってしまってお見せできないのが残念ですが、とても古い感じを残した山門です。
山門には二王像が安置されています。登山口のゴール地点に山門が見えるようになっています。歩き疲れたカラダとココロがよみがえる瞬間です。
四天門
向かって前に増長天・持国天、後に多聞天・広目天の四天王像(東大寺型)が安置されています。仁王門からの参道を本堂に向かっていく途中にあります。
四天門の正面。奥に見えるのが屋島寺の本堂です。
仁王門→四天門→本堂と参道は直線です。
屋島寺 宝物館
屋島寺の本堂の左側に宝物館というものが見えます。逆光で見えにくいのですがお洒落な和装建築です。
宝物館では源平合戦の遺物がおおく展示されています。そのほか、平安時代の薬師如来巫像など貴重な像も拝観できます。
宝物館(左)と屋島寺本堂(正面)
開館時間:9時から17時
入館料目安:500円が必要です。(現地で確認ください)
宝物館の裏には白い凝灰岩が露出していて雪のように見えることから「雪の庭」と呼ばれる立派な庭園があります。
▲左側が御成門。右側が四天門。
屋島寺本坊
歩みを進めると御成門の隣には「本坊」があります。
可正桜(かしょうざくら)
御成門、本坊を正面に見たとき、背中側には「可正桜」があります。
この老桜は高松藩士松平半左衛門可正が老後の楽しみとして寛文五年(1665年)に、屋島寺石段の左右に七株を植えました。そのうち六株は枯れ、残った一株を現在の地に移植したものです。
可正は次のような歌も残しています。
”花の時人きてもしも当ならば可正桜と名を知らせてよ”
高松市
きれいですね。桜の咲く季節には山上のいたるところで桜の老木が咲き誇っているのを見ることができます。
新屋島水族館に向かって歩きます
▲山上のお土産屋さん通り。水族館に行く途中にあります。
山上から高松市街地を見下ろした風景☆夏に高松まつりの花火大会がありますが、ここから見ると通常の大きさの花火だと同じ高さか、見下ろす感じになって球体に見えます。
古代山城 屋嶋城(やしまのき)城門跡
屋嶋城跡について
西暦667年ころ、唐・新羅の侵攻に備えて対馬から太宰府周辺・瀬戸内海沿岸に作られた朝鮮式山城の一つが屋嶋城です。
元々、屋島は江戸時代の埋め立てが行われる前までは、名前の通り瀬戸内海に浮かぶ島のひとつでした。
その屋島は瀬戸内海の中でも備讃瀬戸の東限に位置し、畿内(山城国・摂津国・河内国・大和国・和泉国など)現在の大阪周辺に抜ける海上ルートにおける要所で、特に、唐・新羅の大船団を迎え撃つには非常に重要な場所でした。屋嶋城は古代の山城として、あるべき場所にあった城と言えます。
屋島の地形地質について
屋嶋は上部が平坦で屋根の形をした台地形ですが、どうしてこのような地形が出来たのでしょうか。
瀬戸内海一帯の大地は、花崗岩を基盤としていますが、花崗岩は、風化が著しく、また、風雨にもろく、浸食に弱い性質を持っています。
しかし、屋島は花崗岩の上を硬い溶岩(讃岐岩質安山岩)が水平にかぶっているため、まわりの花崗岩が侵食されても、崩れないで残ったものです。
このような地形をメサ形溶岩台地といい屋島の他、小豆島、五色台、紫雲出山などがあります。
讃岐岩質安山岩の中でも最も硬い性質の岩石をサヌカイト(カンカン石)といいます。打つと高い音が出る石で、屋島山上のお土産屋さんでも売られています。
また、屋島は昔、遠浅の海に浮かぶ島でしたが、江戸時代に塩田造成などの干拓が行われたため、陸続きとなってしまいました。
新屋島水族館
新屋島水族館 外観
新屋島水族館について
新というだけああって、前身は「屋島山上水族館」という名前でした、いろいろあって、存続の危機を乗り越えて、現在世界的に有名な水槽のメーカー日プラさん(香川県)が経営母体になっています。(⇒日プラ)
水族館を作る上で、日プラの知名度は高く、スポーツ界で言うとナイキくらいの知名度と役割を担っています。
新屋島水族館は、山上にあるという少し変わったシチュエーションの水族館ということもあり、四国八十八カ所を巡っているお遍路さんの中には、こんなところに水族館?と驚かれる方も多いようです。
メインはアシカショーとイルカショーになっています。お魚の展示だけでなく、時間を合わせて是非、ショーも観光ください。
入館料や営業時間はコチラを参照ください。
新屋島水族館のバス
マナティが描かれています。可愛いですね。
令和三年 新屋島水族館の入り口
上)岸 信介 書の「屋島水族館シーパレス」
下)奥には縦書きの看板に安倍晋三さんが来所されたときの書が掲示されています。
屋島山上 談古嶺
談古嶺について
源平の古戦場「檀ノ浦」や小豆島、五剣山などが一望できる屋島三大展望台の一つ。明治30年(1897年)に村雲日栄尼(むらくもにちえいに)が屋島を登山した際、源平古戦場の史談を聞き源氏の武士や平家公達を偲んで「談古嶺」命名しました。
眼下に屋島壇の浦、安徳天皇行宮跡、源平合戦物語の華である那須与一のお扇の的、祈り岩、駒立岩、さらに、義経の弓流し跡、佐藤継信の墓、菊王丸の墓などを見下ろし、対岸には五剣山がそびえその裏には、平家がこの屋島から軍船が見えないように隠したと言われる、船隠し湾などがあります。
▼安徳天皇行宮跡、佐藤継信の墓、菊王丸の墓の詳細はコチラの記事を参照ください。
▼那須与一のお扇の的、祈り岩、駒立岩、さらに、義経の弓流し跡などについての詳細はコチラの記事を参照ください。
▼船隠しについての記事はコチラに詳しく書いています。
屋島寺 四国霊場第84番札所 アクセス・マップ
住所:〒761-0111 香川県高松市屋島東町1808
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屋島って歴史的にも奥が深いのですね。この案内でとても役にたちました。
役に立ててよかったです☆コメントありがとうございました!
とても分かりやすく、たいへん助かりました!ありがとう❤️