今回は源平合戦ゆかりの寺として名高い、洲崎寺について観光ガイドします!洲崎寺は佐藤継信の菩提寺としても有名です。
洲崎寺は他のお寺と違って源平合戦の面影が強いお寺です。洲崎寺のまわりには源平合戦古戦場の史跡がいくつも点在しています。
源平合戦古戦場 史跡めぐり観光には欠かせない箇所です。
▼洲崎寺を含めた周辺の観光巡りはコチラを参考にしてください。
このページの内容です!
眺海山 洲崎寺【源平合戦古戦場】
本尊は聖観世音菩薩。四国八十八箇所番外札所、さぬき三十三観音霊場第二番札所。(四国八十八箇所札所ではないので注意)
敷地内の塀外には「開明小学校跡」と「洲崎堂」と刻まれている石碑があります。開明小学校は明治の時代に牟礼浜にあった小学校という記録のみが残っています。
県道36号線から見るとこんな感じに見えます。中は立派な庭園を有しています。
それでは洲崎寺の中に入ってみましょう。
立派な正面玄関です。ここが山門にあたります。普通のお寺とはちょっと違う、軒がないタイプの石造りの山門ですね。
入ってすぐ右手側に、洲崎寺についての説明板が設置されています。
洲崎寺は眺海山円通院と号し、大同年間(八〇六年~)に弘法大師により創建されました。本尊である「聖観世音菩薩」は大師の作と伝えられています。
源平合戦・長曾我部氏の侵攻により焼かれるなど、繁栄と衰退を繰り返し、元録十二年(一六九九)に再興され、現在に至っています。
源平合戦のとき、義経の身代わりとなり討ち死にした佐藤継信の亡骸を、戦火によって焼け落ちた本堂の扉に乗せて源氏の本陣、瓜生が丘まで運ばれたと伝えられており、継信の菩提寺として、毎年三月十九日に慰霊法要が行われています。
平成十二年に再興三百年を記念して、完成した庭園は、苔と石で「屋島壇ノ浦の戦い」を表現し、境内壁面に「扇の的」・「弓流し」等の合戦のあらましを刻んだ説明板があります。
また江戸時代、四国八十八箇所霊場を庶民に披露目「四国遍路の父」とたたえられている「新念」の墓があります。
洲崎寺 本堂
▲洲崎寺 本堂です。少し控えめな大きさです。
本堂の左わきには香川県指定の保存木があります。
洲崎寺 保存木 イチョウ
保存木のイチョウです。紅葉の季節はとてもきれいだそうです。
香川の保存木とは
鎮守の森の木や校庭にそびえ立つイチョウの大木など、何百年と風雪に耐えて生き続けている木は、地域の目印やシンボルであったり、ふるさとの景観に欠かせない貴重な存在です。
香川の保存木は、郷土の景観や地域のシンボルとして貴重である樹木を指定し、所有者など地域の人々の協力を得ながら大切に保存しています。
真念法師の墓
真念法師とは
本名を「宥辨 真念(ゆうべん しんねん)」(誕生年不明、1692年没)は、江戸時代初期の高野聖です。 その生涯のほとんどを四国八十八箇所の巡礼を行うとともに、それにまつわる様々な活動を行って四国遍路を広く人々に知らしめたことから「遍路の父」「四国遍路中興の祖」と云われています。(Wikipedia)
なぜ真念法師の墓がここにあるのか?
新念は江戸時代初期の僧であり、弘法大師に帰依し、四国八十八箇所霊場を巡ること二十余度に及ぶその間、巡拝案内記(ガイドのようなものですね)をつくり、遍路道を整備するなど、霊場の興隆につとめ、「遍路の父」と仰がれている。お墓は昭和五十五年二月、牟礼町汐屋の南三昧から当洲崎寺に移したものである。
元々は他の場所にあったんだけど、発見されて源平合戦にゆかりの深いこのお寺に移設されたそうです。
真念法師の墓にて
真念法師のお墓正面です。合掌。
寺内には源平庭園がありとても美しい庭園になっています。そして内壁には源平合戦の様子を石板にして残されています。誰でもが見れるようになっています。
洲崎寺 源平合戦 石板のすべて
源平屋島合戦絵図の石板
源平屋島合戦絵図の石板です。地図になっています。
屋島、牟礼等の主な源平合戦古戦場の史跡が網羅されています。これが彫刻だとは思えないほど繊細に描かれています。
源平合戦 屋島壇ノ浦の戦いについての石板
源平合戦 屋島壇ノ浦の戦いについて書かれています。
何と書かれているか読みやすくするとこんな感じです。
平安時代末期 寿永二年(一一八三)七月、木曽義仲に敗れた平家は、幼帝・安徳天皇を奉じて、六万寺と屋島檀ノ浦(安徳神社)の地に陣を敷き、勢力の回復をはかり、源氏軍の襲来に備えていた。
時に、寿永四年(一一八五)二月十九日、平家追討の命を受けた義経率いる源氏勢はわずか百五十騎で数千を超す軍団が守る屋島に攻め込んだ。
思いもよらぬ陸路からの急襲に慌てた平家は、辛うじて舟で沖へ逃げた。そして、戦いは、沖の平家と陸の源氏による弓矢の合戦となった。
この戦いは、数々の英雄と悲劇を歴史に残した「佐藤継信の討死」・「扇の的」・「錣引き」・「弓流し」等、数多くの話と史跡が今に伝えられている。
合戦のあらましについての石板
合戦のあらましについて、分かりやすく記されています。
読みやすく解読するとこんな感じです。
- 寿永四年二月十八日 義経率いる源氏軍は阿波勝浦に上陸する。
- 平家方の桜ノ間城を攻め落とす。
- 源氏軍は淡路の江田源三ら約三十騎と合流する。
- 大坂峠で平家の使者を捕える。
- 大内町丹生から二隊に分離する。本隊は内陸から、別隊は海岸沿いから屋島に迫る。
- 十九日朝、屋島に到着する。別隊も合流し平家に攻め入る。
- 那須与市ら約三十騎、赤牛崎(あかばざき)を経て安徳天皇社を焼き払う。
- あわてた平家は舟に乗り移り、海へと逃げる。入り江に浮かぶ平家の舟軍と浜辺の源氏軍の戦いとなる。
- 平家の勇将教経が総門に上陸し弓矢戦となる。この時、源氏の勇将佐藤継信が義経の身代わりとなり討死する。
- 夕刻、源氏勢は瓜生ヶ丘に陣を敷く。
- 明けて二十日、当地近辺で戦いはせめぎ合いとなる。[扇の的] [錣引き] [弓流し]等の話はこの時の出来事である。
- 翌朝平家は海を越え源氏勢の背後から攻める。義経はそれを察し、志度寺辺りで平家を打ち破る。
- 平家は戦いに敗れ、屋島をあとに西海に落ちていく。
佐藤継信の討死についての石板
佐藤継信の討ち死にについて
屋島合戦では数多くの死傷者が出た。義経四天王の中の佐藤継信もそのひとりである。平家きっての強者・教経は源氏の大将・義経を射落とさんとするが、武蔵坊弁慶、佐藤継信・忠信の兄弟、江田源三らの勇士たちが駒をずらり並べて義経の前に立ちはだかる。
教経が「九郎判官義経はいずこにあるや・・・」と放った矢は、先頭を切って立ち向かてきた継信の左の肩から右の脇腹を射抜いた。
継信は義経の身代わりとなって討ち死にしたのである。
そして継信の亡骸は戦火によって焼け落ちた洲崎寺の「焼け残った本堂の扉」に乗せられて源氏の本陣である瓜生が丘まで運ばれた。
洲崎寺は継信の菩提寺となり、毎年春には慰霊法要が行われている。
義経が建てた継信の墓は義経の愛馬「太夫黒の墓」と並んで当寺の南方600メートルのところに葬られている。
▼2つある佐藤継信の墓!?
那須与一 扇の的についての石板
那須与一 扇の的について
日はすでに傾き、沖では平家の軍船が赤旗をなびかせて態勢を立て直していた。と、その船団の中から一艘の舟が渚に向かって漕ぎ寄せて止まった。見れば、舟の舳先に赤地に金の日の丸を描いた扇を付け、優美な女性が招いている。
「これは扇を射よとの合図でしょう」そして、弓の名手、那須与一が選ばれた。この扇の的を射落とさねば源氏の恥。与一は祈り岩まで馬を進め、「南無八幡大菩薩、願わくはあの扇の真ん中を射させ給え」と一心に願った。
決意した与一は駒立岩に駒を止め、鏑(鳴矢)を取って引き絞り、ひょうと放った。矢は見事に扇に命中した。
『浦響くほどに長鳴りして、あやまたず扇の一寸ばかりを射て、ひふっとぞ射 切つたる。 鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ揚がりける。しばしは虚空にひらめきける が、春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ落ちたりける。
みな紅の扇の日いだしたるが、夕日の輝いたるに、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、陸には源氏、 箙(矢入れ)をたたいてどよめきけり。』
「平家物語」はこの名場面を絵のように伝えている。
景清の錣引きについての石板
景清の錣引きについて
源氏の武将 美尾谷十郎は平家の勇士 悪七兵衛景清の大薙刀(おおなぎなた)で、太刀を落とされ、逃げようとした。
景清は、十郎の兜の錣をつかみ、逃がせまいとする。
引っ張り合いの末、遂に錣が切れ、十郎は逃げきった。十郎が「腕の強さよ」と下を巻けば、景清は「首の強さよ」と十郎を褒め称えた。
強者同士のお互いの武勇を称え合ったという逸話ですね。
義経の弓流しの石板
義経の弓流しについて
源氏の大将 義経は一寸した油断があったのであろうか、平家の舟から繰り出される熊手に引っかけられ、弓を海に落としてしまった。弓は波間に見え隠れして流れてゆく。
「お捨てなされい。お捨て下されい。」と部下たちが止めるのも聞かず、義経は右手の太刀で戦いながら、左手のムチで弓を拾いあげた。
「一張の弓と大将軍の命と何れが大切であるか。」と語気を荒げる部下たちに義経は答えた。「叔父為朝の弓のような剛弓であるならば、わざとでも敵に拾わせてやろう。しかし。拙者程度の者では、源氏の大将の名をけがすことになる。それが、口惜しかったのだ。」
義経の源氏の大将としてのプライドだったのでしょう。使っていた弓矢がもっと名のある弓矢や強力なモノであったら、逆に相手に拾わせて自慢したことでしょうね。
▼各石板に載っている源平合戦のすべてのエピソードはコチラで見れます!
洲崎寺 アクセス
住所:〒761-0121 高松市牟礼町牟礼2691
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