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数珠掛孫兵衛久重の墓と義盛塚はどこにある?
数珠掛孫兵衛久重の墓
数珠掛孫兵衛久重の墓は、高松牟礼線36号から八栗ケーブルに続く八栗牟礼線146号に入る入り口付近右手側にあります。
源平史跡巡りで洲崎寺、総門跡、の辺りまでくれば、すぐ近くなので寄り道することをお勧めします。
義盛塚
義盛塚は白羽神社の近くにあります。約500メートル7分で白羽神社の社殿まで着きます。
義盛塚は私有地(田畑のなか)にあるので少し訪問しにくいです。
数珠掛孫兵衛久重の墓 現地の様子
こちらが数珠掛孫兵衛久重のお墓です。左側には小さな地蔵堂があります。
ちなみに「数珠掛孫兵衛久重」の読み方が分からないのですが自分は「じゅずかけ まごべえ くしげ」と読んでいます。「久重」の部分は「くえ」かも。または「ひさえ」かもしれません。。。
先ほどの場所から少し右寄りのアングルです。端には灯籠(とうろう)が見えます。
立て看板に数珠掛孫兵衛久重の墓についての由来が書かれています。
数珠掛孫兵衛久重は長宗我部元親の一の家来で、天正十一年(1585年)八栗城を攻めたとき城主中村宗卜と華々しく戦い討たれました。
数珠掛孫兵衛久重の墓は、当初、「神の木」(現在の場所より約200メートル東)という所に祀ってあったのを故あって現在の地に移し換えられた。
とあります。
八栗城は五剣山を登って中腹にある第85番札所 五剣山観自在院 八栗寺、聖天堂歓喜天のある場所。もう少し絞り込むと「お迎え大師」があるあたりとされています。
神の木は探してみましたが詳細不明でした。
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義盛塚 現地の様子
源平屋島合戦古戦場の道標石柱が見えると思いますが、ここは「白羽公民館」の前です。「義盛塚」は近くには見えません。公民館の右手側を奥に進んだずっと先にあります。
石柱のてっぺんには上のような地図が刻まれています。矢印が消えているので「現在地(公民館)」と「義盛塚」が逆の位置だと思っていただけたらいいと思います。近くには白羽神社が見えます。
義盛塚は小屋、お堂のような姿をしています。近影で写真を撮れませんでしたが建物の側面に貼られている説明版は以下のようなものです。
義盛塚
源平屋島合戦古戦場のひとつである
源氏のさむらい伊勢三郎義盛の陣所跡ではないかといわれている。
また、同じ源氏のさむらい鎌田光政の墓ではないかともいわれているが、確たる証拠はない。